《No.18》
老いのカタチ


平成15年11月号


《MEMO》

老いは、身近であって身近でない。いつも、自分や家族の10年後、20年後を想像するようになった。
一人の時間を楽しむことが好き、人付き合いが苦手な人にとって、日常生活を続けるために誰かの手を借りなければならない、つまり介護が必要な状況に陥ることは、傍で想像する以上に苦痛であるらしい。介護予防のため各種サービスを提案しても、大勢の中では疲れてしまう、我が家が一番、わずらしいことはイヤなどと、いろいろ理由をつけて消極的である。利用者の意向を最大限に尊重すると、どんなに素晴らしいサービスがあってもその恩恵にあずかることなく、黙って放っておくしかなくなる。そもそもケアマネと会うだけでもかなりの精神的負荷がかかるようなのだ。

Sさんは、息子さん一家と同じ家に暮らしている。同居とは名ばかり、2階に住む「若い人たち」とは没交渉で、実態は独居に近い。たまに小学生の下の孫がテレビを見に来るくらいのものだ。

Sさんはいつも居室のコタツに寝ていた。筋力の低下は明らかで、訪問するとしばらくの間は体を起こして応対するものの「めまいがする」といってすぐ横になってしまう。もともと耳の遠いSさんは大音量の電話の音にも反応しなくなっていた。「鳴っているのは分かっていたんだけれど、電話を取りに行くのが面倒で‥‥」ほんの5、6歩の距離なのに。会う毎に弱っていく気がして、こちらも弱気になってしまう。

今まで何でも自分できちんとやってきた人なので、自分なりのやり方がある。だから、ヘルパーさんの派遣も2回に1回は勝手に断ってしまう。ヘルパーさんが帰った後の台所の配置が雑だったり、掃除の仕方が自分の思うようでないと、ガッカリしてしまうらしいのだ。浴室がちっともキレイになっていないと苦情を受け調べてみると、タイルの目地の汚れが落ちていないというものだった。限られた時間の中でヘルパーができるのは、床や浴槽のヌルヌルを取り除いて転倒を予防し、安全な入浴を確保すること、環境整備で精一杯であるので、ピカピカに磨き上げることではないと説明を受けても、納得はできなかった。完璧主義で、しっかりしているだけにため込んだストレスは大きいものだったろう。
少しくらい呆けていた方がまだ気楽だろうにとつい不遜なコトを考えてしまう。こらこら。

私ったら、社交性で世の中渡って行こうと考えるクチ。この先、年を取って前頭葉の一部がイカレて「あ〜ら、あのオカザキさんが、ウフ」なんて言われる前に、「極楽じじばばホーム」なる施設を企画しちゃおうかなあ。職員はイケメン限定、立て膝でサービスしてもらっちゃうわ。お気に入りスタッフの手をそっと握りしめて離さない。徘徊探知機を身につけて出掛けるから、夜遊びOKとかね。とどまるところを知らない不良ばばあになっちゃうぞ。これも一つの環境整備だ。
う〜ん、われながら良いアイディア。さあ、せっせと小金を貯めようっと。
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