《No.21》
権利意識


平成16年2月号


《MEMO》

私がケアマネをやっていたときと違って、今はますます業務がきつくなっていると現役ケアマネが嘆いていました。
報われる日を信じつつ、いつまで続けられるか、それぞれにピリオドをつける時期を計っているようにもみえる。う〜む。
お正月に帰省した折、親類を訪ねた。やあやあ、ご無沙汰。おじちゃんも、おばちゃんも、年取ったねえ。何を!お前には言われたくないわい。久々に会う、懐かしい顔。大勢で食べるごちそう。話が弾む。そのうち決まって、誰が死んだの、どこが悪いだの痛いだのの話になってしまう。口は達者な面々だが、年相応に身体は弱ってきているようだ。元ケアマネの私には、どうしても高齢者関係の話題がふられることが多い。

「ねえ、毎月介護保険料を払っているんだから、私にも介護保険の権利ってあるんでしょう。」足を悪くした伯母は、階段の昇り降りが苦痛だと訴える。片手に杖では重い物も持てないし、買い物も大変。介護保険で何とかならないのかしら。んんー、権利ねぇ、何と答えたら納得してくれるかなあ。そう、負担があるから、権利意識が芽生えるのが当然なのだ。でもさ、おばちゃん、使わにゃ損、損みたいに考えてると身体ますます動かなくなるよー。姪は意地悪だ。

全国的に介護保険のサービス利用が伸びている。利用率も、一人当たりのサービス利用量も著しく増加していて当初の予想を上回り、資産が追いつかない状況が見えてきた。私の住む山形市も例外ではない。

5年目の制度見直し時期に差しかかり、様々な案が浮上している。施設利用は、要介護度2以上にすべきだとか、軽度の人に利用制限を設けようとか、保険料を二十歳から負担させようとか。少子高齢化社会を見越し、医療財政の破綻を救うべく登場した、日本の介護保険。優秀な頭脳が結集して作られた、この制度は、諸外国の同様な制度のいいとこ取りだったはずじゃないか。

なかなか報われないケアマネ業務の実態に配慮して報酬を値上げしたり、ケアプランに組み込むサービスの種類数に応じて加算点を付けたりの改訂は、つい昨年の出来事。いわゆる利用拡大キャンペーンをやっていたのに、今になって財源が足りなくなりそうだからってのは、ないんじゃないか。私みたいな、だめ×2ケアマネは、い〜っぱい実在するんだから、きっと張り切って至れり尽くせりのケアプランを作ったに違いないぞ。あれもこれもと生活上の問題点を洗い出して、てんこ盛りの計画にすれば、報酬は上がるし、利用者にも喜ばれる。そんでもって、世間は、困ったことは何でも屋のケアマネにお任せという「ぬるい」認識を持っちゃったんだから、もう、どうしてくれるのよ。

財源確保のために保険料が値上がりすることは、もはや避けられないだろう。負担が増えれば、ますます権利意識が高揚して費用が正しく使われているかの監視の目が光る。優良なサービス事業所がセレクトされ、無駄のない、シンプルな制度に行き着くんじゃないかなあ。
風が吹けば桶屋が儲かるみたいな、ポジティブ発想だわん。脳天気ねえ。
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