《No.4》
ためらい


平成14年9月号

《MEMO》

あれこれ悩みながら、結局は自分で面倒を見ることを選択した長男の妻。
何も分からなくなったNさん本人に文句を言いながらもよくやっていたよなあ。Nさんのホッペ、いつもツヤツヤだったもの。
在宅介護サービスの利用が増えて、来年4月からの介護保険料が各市町村で値上がりする見込みだという記事を読んだ。新規施設の建設計画もまだまだあるようだ。

「そうかぁ、増えたのかぁ」当然のこととはいえ、なせか感慨深い。「在宅」には、デイサービスやショートステイなどの施設利用タイプも含まれるから一概にはいえないが、訪問系のヘルパーや訪問看護も健闘しているに違いない。ケアマネもどちらかというと訪問系、かな?

Nさんが亡くなったと、担当を引き継いでくれたケアマネから連絡があった。Nさんには高度の痴呆があり寝たきりで、もっぱら介護に当たっている長男の妻は、腰の曲がったNさんのオムツのあてにくさ、始末の大変さをいつも嘆いていた。
「いったい、これがいつまで続くんだろうと思うとイヤになっちゃう。こっちが先に参ってしまう」ベッドサイドで大声で話してもNさんの応答はない。目は開いていても果たして見えているのか、聞こえているのか。

Nさんが危篤に陥り、緊急入院したことは以前にもあった。 「二、三日がヤマって言われたのよ。土日にかかりそうでしょう。葬式になったら連絡していい?家もそう広くないから、ベッド引き取ってもらわないと」「ハア‥‥」自分と、自分の家族との休日を想像してクラクラとめまいがした。ケアマネの仕事のほかにベッドのレンタルも扱っていたから、要らなくなったら直ちに搬出しなければならない。では、平日のうちにベッドを引き取りましょうと申し出たものの、それはあっさりと断られた。家の中をヘタにいじって環境を変えて、持ち直されたらたまらない、縁起?をかつぐわけじゃないけれど、というのが理由だった。あけすけに言うことは憚られるが、解放される「その時」を、このお嫁さんは何と複雑な思いで心待ちにしていたことか。

誤解しないでいただきたい。決して虐待ではないからね。お嫁さんは献身的にNさんの面倒をみていた。誰の助けも借りず、一人で頑張っていた。夫ですら実の母の居室に立ち入ることはほとんどなかったのだから。
「昔は、こんなんじゃなかった。おばあちゃんは器用で頭のよい人でね、何でもできた人なの」

疲れが取れないと話すこともあった。ヘルパーさんを頼みませんか、訪問看護婦さんはいかがでしょうと何度も提案したが、かえって気疲れしそうだと受け入れてはもらえなかった。説明の仕方が拙かったかなと反省し悩みもしたが、ケアマネとしては家族の意向に添うよりほかなかった。

介護のためとはいえ他人を家にあげることへの低抗は、何というか根深いものがある。世間体を気にする人もいる。独居ならあきらめもつくが、同居家族がいる場合が、かえって厄介。最初の一歩を踏み出してもらうまで、段取りにもかなりのエネルギーを使うのだ。
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