《No.7》
三途の川を渡る


平成14年12月号

《MEMO》

私の出身は北海道札幌市。縁あって山形で暮らすようになり、かれこれ15年。でも、山形弁はちっとも進歩しない。特に書き言葉。
正しい山形弁を、夫の両親、伊藤美代子さんに監修していただきました。お手数おかけして、すみませーん(^。^)
4〜5年前のことだったか、ばあばあちゃん(夫の祖母)がこっそりと私に話したことがある。
「ちがちゃん、死ぬ、なんてひとくちに言たてな、そうそう簡単には死なんないもんなんだど」「えっ?」面食らう私に更に続けて「三途の川を渡っどきな、それはそれは物凄い痛みを味わわんなねんだど。どんな死に方したたて、皆、その痛み越えないと死なんないんだど。生まれて来っどぎも相当痛いらしいけどな。誰も、覚えてないべ。それよりまだひどいらしいな」「へ〜」

ご近所のお茶飲みで話題に上ったということだった。聞いてきたばかりのホットな情報らしく、ばあばあちゃんはちょっと興奮気味。お茶飲み友達の関心は、世間話、うわさ話にとどまらず、年代が上がるにつれ、人生の終末のアレコレにも及ぶらしかった。

今年は例年になく早い積雪。とびきり寒い朝、Tさんの訃報に接した。良くないと聞いてはいたが、すぐには信じられない。Tさんはいつもニコニコしていた。初めて会った日も。
病気が進行し、足に力が入らずまっすぐ歩けない、目を離すと転んでしまうのでリハビリがしたいとの依頼だった。介護に当たる奥さんも病弱で万全の体制とは言い難く、疲れ、戸惑っているように見えた。早速、週3回、デイケアの予約をいれた。
数ヶ月後、真面目なTさんはメキメキと歩行が安定し、付きっきりでいなくても良くなってきた。奥さんの顔色も明るくなった。お陰様でと感謝され、「いえいえ、私、口ばっかり。リハビリを頑張ったTさんのお・か・げ」と言うと、Tさんは目の縁を潤ませてニッコリ笑ったものだった。

ここで、ダメダメの私はすっかり安心して、Tさん宅から足が遠のくことになる。他の厄介なケースに時間を費やし、月1回の訪問もなおざりになってしまった。Tさんは私を気に入ってくれていた。訪問を心待ちにしているのにと奥さんから言われ、大いに反省したものだ。

Tさんに痴呆症状が現れた。机に向かい、チラシを切り揃えて束ねたものを伝票だと言って数えている。昔の仕事を再現しているらしかった。ときに深夜まで及ぶのだという。「とうちゃん、風邪ひくと悪いから無理すんなな」「あんまり根つめっど、身体に障っからな」奥さんは決して『仕事』を取り上げたりはしなかった。Tさんは心穏やかに過ごしていた。「こう見えても昔は短気な人だったんだ」奥さんがいたずらっぽく教えてくれた。

たまたま遊びに伺ったとき、Tさんは座って昼食を摂っていた。奥さんが「この人、誰だが分がっが?」と尋ねると、ニコニコして「オカザキさん」と答えた。いろんな事が思い出せなくなっていても、私の名前は忘れないでいてくれた。「また、遊びに来るからね」と言うとウンウンと頷いた。緊急入院の2日前、あの笑顔が最後だった。
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